一冊の本との出会い

珈琲業界に影響を与える12人の連載コラム第11弾 コーヒーハウス ニシヤ オーナー 西谷恭兵氏

【 西谷恭兵氏プロフィール】

西谷恭兵(にしやきょうへい)
1979年埼玉県出身
パティシエやコック、ギャルソンを経たのちバリスタを志す。
2003年イタリアンバールに勤めバリスタの技術を磨き、2004年ジャパンバリスタチャンピオンシップに初出場で準優勝。2012年韓国で開催されたワールドコーヒーイングッドスピリッツに日本人として初めて出場し、翌年渋谷区東でコーヒーハウスニシヤを開業する。営業外ではバリスタの技術指導、メニュー開発をはじめ、経営セミナーなども行っている。
また2015年より社会貢献活動の一環として、日本盲導犬協会の育成支援に取り組んでいる。

西谷恭兵(にしやきょうへい)

私がバリスタという職業に就いたきっかけは一杯のコーヒーとの出会いではなく、一冊の本との出会いでした。
2002年私も含め、世間ではバリスタの「バ」の字も知られていない頃、私は渋谷にあるカフェでサービスマンとして働いていました。それ以前はパティシエ、コックの仕事をしていたのですが、持病が原因で早々に諦める選択をしなければいけませんでした。夢も目標も失った私は只々仕事をする日々を過ごしていました。そんなある時、休憩中スタッフルームでなんとなく手にした一冊の本が私の運命を変えてくれるのです。それは柴田書店出版の【カフェ‐スイーツvol.19】タイトルは『イタリアンバールヘようこそ』です。

バックカウンターにお酒のボトルがびっしりと並び、脇にはエスプレッソマシンが鎮座するカウンターの中で紺色のダブルジャケットを着た二人の男性が立っている表紙で、私が人生で初めて目にする「BARISTA」でした。むちゃくちゃ格好良くて心が震えたのを今でも覚えています。私はこの本を何度も、無我夢中になって読んでいるうちに「俺もバリスタになる」と自然と誓うようになりました。数か月後にはお店を退職し、当時唯一無二のイタリアンバール「LoSPAZIO」の代表野崎晴弘氏を師事し修行をスタートさせました。

今ではバリスタという職業も当たり前に聞くようになり、若い世代ではコックやパティシエと並ぶ人気の職業になりました。ですが多くの人がバリスタの語源を知らず、イタリアンバールの存在すら知られていないのが現状です。「コーヒーを淹れる人」「コーヒーのスペシャリスト」「ラテアートをする人」一般的にはこのように表現されると思いますが、私が目指すバリスタは「BAR(バール)」の「ISTA(専門家)」を指し、コーヒーに限らずバールにある全てのものに精通した一流のサービスマンでした。

そもそもバールとは何かというと、イタリア独自の外食店舗形態で、単に飲食をする場ではなく、人々が情報交換をする地域コミュニティの役割を担っています。一日の始まりはバールで甘いブリオッシュとカプチーノで朝食をとり、昼食後や休憩時には再びバールへ足を運びエスプレッソで眠気を覚まし、友人やバリスタとの会話を楽しみます。仕事の打ち合わせなどにも利用し、仕事が終われば我先にとバールへ行き、お酒を飲んで仕事の疲れを癒します。サッカーの試合がある日はビールを片手に夜遅くまで賑わっています。そんな様々なシチュエーションで、すべてに満足させることができるのがバールで、その中心いるのがバリスタなのです。

2003年バリスタの修行をスタートさせた私は10年後の2013年9月に運命を変えるきっかけにもなった渋谷で、イタリアのバールをモデルに、街に住む人や仕事をする人、街に関わる全ての人たちの生活の一部になれることを目標に「COFFEEHOUSE NISHIYA」を開業しました。

開業当時それまで長くお付き合いいただいてきた何人かのお客さまから「夢が叶ったね」と言われることがあったのですが、私にとってNISHIYAの開業は夢ではなく生活するための手段でした。すなわち商売であり、私が生涯カウンターに立ち続ける為の策でした。

実をいうと、やりたかったお店は両親と同じ「スナック」でした。両親の営むスナックは私が生まれる前日に開店し、私は寝返りを打つまでの間毎日スナックのカウンターで寝かしつけられていました。物心つくころには「お客さま」に触れるようになり、将来私も何らかの形でお客さま相手に商売をすることはこの時既に決まっていたのかもしれません。
NISHIYAをスナックではなく、カフェにした理由は、お店を利用する客層が幅広いこと、集客数が多いことに魅力を感じたからです。

開業は生活するための手段と先に述べましたが、日々お店を開ける中でいちばんの楽しみは「人に会う」ことです。これまで赤の他人だった人がお店を利用してくださることでお客さまとなり、他人から知人へ、そして友人へと関係が発展していくことが何よりの喜びです。バリスタは単に飲食の提供をするだけでなく、他愛のない会話から恋や仕事、人生の相談相手にもなります。またお店は時にホテルや、便利屋としての機能も果たします。ご近所さんが自宅の鍵を預けたり、親御さんが出かけている間お子さんの相手をしたり、ペットの犬だって預かります。遠方や海外のお客さまがお見えになれば、街のコンシェルジュになりきるのです。バリスタはコーヒーのポテンシャルを引き出すことも重要ですが、こうしたお客様のご要望に応える柔軟性が大事で、いちばん難しい事でもあります。それだからバリスタの修行は今もなお続いています。

私の好きな言葉の一つに「人は人につく」というものがあります。SNS最盛期、情報過多と言われるこの時代に集客することは一昔に比べ難しいことではなくなりました。ですが、お客さまと信頼関係を育むことは難しくなってきていると感じています。家でも飲めるコーヒーをわざわざお店に行って飲むには必ず理由があり、私はその理由を汲みとってどんな要望にも応えるバリスタであり続けたいと思います。

私にとってコーヒーはお客さまのことをちょっとだけ幸せな気持ちにできる「相棒」なようなもので、もしもこの先私がスナックを営むことがあってもそれは変わらないでしょう。

▼クレジット
写真:Sonia Cao (ソニア・カォ)

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